PROFILE
C Jero Honda

 1977年9月25日、神奈川県横浜市に生まれる。幼児期より地元のスイミングスクールに通う。
 小学校2年生より選手コース。並行して小学校3年生まで少年野球、4年生〜6年生まではサッカー。
 当時ファミコンがブームだったがまったく興味無し。自宅の周りが山や田畑だったのでザリガニ取りなどアウトドア派の野生児だった。
 中学時代は水泳部とスイミングスクールと水泳一本。しかし全校マラソン大会で1年生時から3年生時まで3年連続総合優勝とランニングの才能もみせる。
 1年生の時に、優勝したら自転車を買ってくれるという親との約束でクリスマスにBMXを手に入れる。それ以来自転車乗りたさに何度か親に内緒でスイミングをサボって乗り回す。
 2年生の時には、自宅から相模湖や山中湖まで20インチのBMX(ギア無し-で長距離サイクリングを敢行。少年期の最も楽しい思い出となっている。
 勉強にはあまり興味を持っていなかったが、美術では指に絵の具を付けて描くという手法をあみ出し、その非凡な感性を発揮、高評価を受ける。
 高校時代、夏は水泳部、冬はスイミングスクール中心と、やはり水泳一本。リレーで3年連続インターハイ出場。このとき知り合った他校の生徒とサーフィンを始める。3年生になるまで、夏冬を問わず仲間と共に、江ノ電が彼らとサーフボードを湘南の海に運んだ。本格的に海と向き合った季節。八景島でイルカに出会ったのもこの頃。
 3年生でのインターハイ終了後水泳部を引退。
 就職活動が始まる。イルカの調教師を目指すが条件が合わずあきらめる。
 人生の中で初めて目標を見失った。社会の入り口に立って身も心も放浪した。
 初めて迷いやストレスが襲ってきた。そんな中、高校を卒業。そして何かの手がかりを求めてブラっと入った本屋で一冊の本と出会う。「トライアスロンジャパン」。稲毛トライアスロンクラブ選手募集欄が目に止った。「本気でオリンピックを目指す選手募集」。頭に閃光が走った。失意も彼の感性を曇らせる事は出来なかった。何を考えながら家へ帰ったのか覚えていない。翌日かけた電話が彼の運命を決めた。
 半年後スイムパートをトップで上がり第一集団の一員としてバイクを終え、トータルタイム1時間52分03秒で日本選手権第3位の表彰台に立った。そしてシドニーまで彼の道に迷いは無かった。
 シドニーオリンピック後、一時期オーストラリアに活動の拠点を置き、世界の中に活躍の場を求めて行った。2001年初夏、勢いだけが強かった反動か精神的な持続力に限界を感じ休養に入る。1年にも及ぶような長期休養も視野に。しかし半年も経たずスポーツへの情熱に抗し難く、同年晩秋に自転車ロードレースに復帰。優勝。翌年Xテラなどにも参戦。好成績を挙げる。同年日本選手権でも優勝。気がつけば思いはアテネへと向かっていた。翌2003年大事なレースで思ったような成績が出ないものの、シーズン最後の日本選手権で内容のあるレースで準優勝。アテネへの可能性を残す。
 そして2004年アテネオリンピック選考の最終シーズンに入る。アジア選手権に始まり、最終選考まで名を連ねるが無念の敗退。“挫折”である。
 今までは後ろを振り返る事もなかった自分が初めて立ち止まり後ろを見た。勢いはあった。しかし本当の意味での競技への情熱、掛ける思いが薄れていた。順調だった選手生活に甘えていた。心の強さを失っていた。身体だけではない全人格的な強さ。新たなトレーニングの道に気がついた。教えられ、叱られ、引っ張られるのではなく、自ら考え自ら行なう。今までのトレーニング環境を捨てより大きな目標に向かい一歩を踏み出した。これからは更に新たなる福井英郎スタイルを築き磨きをかける!