2003 ニュータガマントライアスロン

 5月17日サイパン島において第14回ニュータガマントライアスロン大会が開催された。
SARSやテロの影響で参加者が例年より少なくなったが、日本より福井選手を含め34名、韓国より27名、地元サイパンから83名、そして2年連続優勝のディフェンディングチャンピオン、ジェイソン・メッターズを含むオーストラリア勢6名など188名の選手が参加した。
 クラス分けは、個人参加のオープンの部と2〜3名のリレーチームとなっている。

 福井選手にとって今年度のシーズンが始まってはいるのだが、レーススケージュールの日程的なブランクをうめることも含めて、今回主催者の招待を受け、スイム2km、バイク60km、ラン15kmと通常参加している距離の約1.5倍のディスタンスのオープンの部に参加した。
1998年の宮塚選手以来日本選手の優勝が無く、この2年はベスト3にも日本選手の名前が見られない。参加選手、日本人関係者の期待を一身に集めての福井選手の出走となった。
 
 気温27度C、湿度80パーセント、水温27度C、陸風微風。満月の月明かりが静かな海面にコースブイをかすかに浮き上がらせている。一周1000メートルの四角形、右回りコースを2週。
 朝まだ来、AM5時30分、PIC(PACIFIC ISLANDS CLUB)のビーチ公園に建てられたスイムゲートから海面に映る月明かりの中を沖に浮かぶかすかに見える第一ブイに向かって全選手一斉スタート。トライアスロン本来の形である、ドラフティング禁止、男女別などの無い全選手一斉スタートである。空が白み始めた一週目が終わるころにはトップの選手達が最後方の選手を早くもラップし始める。
 トップは宮塚選手とチームを組む地元の高校生セン・ジン・リー、そして福井、メッターズ、と続く。この順位は変わらずにスイムフィニッシュ。
 
 バイクスタートして約20kmはほぼ平坦のシーサイドロード。ここでメッターズが先導バイクを利用してドラフティングぎりぎりの逃げを打つ。バイク序盤ということもあり虚をつかれた福井、宮塚両選手が置いていかれる。山岳部のアップダウンに入るころにその差は1分15秒となる。
 標高差約100メートル、片道約15km続く山岳部のコースに入り、福井は宮塚を引き離すもののメッターズとの差は詰まらない。北端部にあるバードアイランドルックアウトを折り返し、復路のアップダウンを乗り越え、この山岳部をメッターズと互角に戦い、平坦路に戻った時もその差は一分強。しかしここで不運が福井を襲う。バイクゴールまで約8マイル(12km)地点、ホテル日航サイパンの前でガラスを踏み後輪パンク。一気に空気がぬける。残った距離を考え一瞬リタイアが頭をよぎる。しかしこのあとのコースが緩やかなアップダウンはあるもののほぼ直線であることを思い出し、レース継続を決意。
 グリップしない重い後輪、リムへの負担を気遣いながら必死にゴールを目指す。
 メッターズに遅れること3分25秒でアメリカンメモリアルパーク(AMP)にバイクフィニッシュ。なんとパンクしたあとの12キロでその遅れを2分強増加させるだけに抑えた。

 観衆の声援を受け、福井のランパート最後の追走が始まる。15kmの平坦シーサイド往復コース。実況中継のアナウンスが福井の追い上げを頻繁に伝える。その差が3分を切り、2分30秒、2分、そして1分30秒を切るころにアナウンスはストロング!ストロング!・・・!・・・!福井!!!と叫び声に変わった。とてもパンクしたまま12kmも走った後の走りとは思えない。
 最後の公園一周回に入るときにその差は1分数秒、残り5キロ。
十数分後、フィニッシュに向けての直線に最初に姿を現したのはメッタ−ズ。後方200数十メートルに福井。必死の追い上げもわずかに届かずメッターズに遅れること34秒差の2位でフィニッシュ!
 パンクという不運に見舞われ、ランでの素晴らしい追い上げも届かず2位という結果ではあったがその走りは観衆を十分満足させるものだった。パンクさえしなければという悔しさも残るが、それが次のレースのパワーとなるだろう。